プロフィール

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小川 かほり

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「大人しくて静かなかほりちゃん」だった幼少期。


械設計士の父、看護師の母の間に3人兄弟の長女として誕生する。

「お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい」と言い聞かされ、いつも忙しそうな両親を見続けていたからか、迷惑をかけないためにも大体のことは我慢できるように。自分の意見を表に出すことはほとんどなかった。

みんなが口を揃えるほど静かで、主張のない子だった。

自分でも「とりあえず我慢しておけばなんとかなる」「我慢してその場がまるく収まるならそれでいい」と思っていた。

育った環境って本当に恐ろしい。

ひとりで過ごす時間が長かったので、テレビがお友だち。主婦向けの番組ばかり見ていた影響で、片付けや模様替えが大好きに。夜中に思い立って机やベットの位置を動かし、模様替えを遊びとして楽しんでいた。

小学校は皆勤賞。中学校も、高校も、とにかく真面目に通学する。

「学校=通うもの」。なので、学校楽しい!とか学校最高!とか特になく、休むという選択肢がなかったためとりあえず通っていた。

 

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弟、妹の面倒をずっと見ていたからか、将来は保育園の先生か小学校の先生になろう、と小3の時に決意。しかし勉強は大嫌い。教えることができないという理由で、小学校の先生は早々に断念する。

この時点で、保育士なら勉強を教えなくてもいいし!という理由で自動的に進路が決定。

親元を離れ保育系の大学に進学し、幼稚園教諭と保育士の免許を取得することに。

 

「私はこうしたい」を主張できた20歳の春。


乳幼児期という子どもの成長の一部分を切り取るのではなく、成長過程全体を把握したいな、憧れだった小学校免許も欲しいな、小学校で働くという選択肢も持っておきたいな……と思っていたところ、「取得必須科目の授業日程をやりくりすれば、どうやら小学校教諭許免許も取れるらしいよ」と友人のアドバイスが。

それなら私にもどうにかできそうだと思い、小学校免許も取れませんか?と学科長のもとへ直談判してみた。

紆余曲折あったが、なんだかんだで小学校免許も無事に取得できることになった。

今思えば「かほりはこんな子」を無意識のうちに演じていた親元を離れ、自分で決めて行動できた最初の成功体験だったのかもしれない。

勉強することが増えたため案の定忙しくなり、当時流行っていたオレンジデイズのキラキラキャンパスライフとは程遠い、授業と実習、バイトに明け暮れた4年間だった。

 

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念願の保育士に!辛くも楽しい社会人生活に突入

 

大学卒業後、20代は保育士、幼稚園教諭として子どもたちと一緒に過ごす。

精神的にも体力的にも、本当に本当に大変な仕事だった。

ただ、それ以上に子どもの成長を側で見守ることができるというやりがいのある仕事だった。同僚の先生と事務仕事をしながら「あの子があんなことできるようになった」「こんなこと言ってた」と子たちの成長を話す時間はこれ以上ない楽しい時間で。

この時間がずっと続けばいいのに……といつも思っていた。

 

保育園の園長がおっしゃっていた「子どもではなくひとりの人間として接しなさい」「育つ環境を整えてあげなさい」という言葉を大切に、とにかく目の前の子どもの成長のために頑張った。

充実した毎日が幸せだったが、一斉教育や団体行動を強要し、子どもの可能性を潰す教育と教育現場という狭い世界にはだんだんと疑問を抱くように。

「みんな違ってみんないい」とか言いつつも、ちょっとでも人と違うことをしようものならあーだこーだ言われてしまう謎。

決められたことをちゃんとしなければ、ダメな子認定されてしまう謎。

集団生活を学ぶ場だから、と言われてしまえばそれまで。

だけど、なんとも言えない怒りにも似た感情が常に心の中にあった。

また、狭く闇深い職場環境にも大きな違和感があった。

とはいえ、仕事を辞めるという選択肢もなくひたすら我慢した結果、全身にアトピーのような謎の湿疹が。

あっという間に広がって、見るも無惨な姿になってしまった。

身体も心もボロボロ。なのにこのSOSさえ我慢して、毎日強めの塗り薬を塗り、痒さとストレスと戦いながら仕事をしていた。

転機が訪れたのは29歳の時。

当時付き合っていた方と結婚し、転勤族となる。

結婚2ヶ月後に転勤が決まり、大阪の地へ。

 

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今後のことを考えて教育現場を離れスターバックスへ

 

いつ転勤になるかわからない以上、担任を持つことができない……ということで幼児教育現場に戻ることは諦めた。

ここでも毎度お馴染み「私が我慢すればなんとかなる」が発動。

一生使える資格があるのに。やりたい仕事があるのに。なんだこの不自由さは?と、何もできないことが悲しかったし、とにかく自分が悔しかった。

家でじっとできないタチなので、すぐに仕事探しをスタート。転勤族なので、日本中どこでも働き続けられるようにスターバックスで働き始めた。

なんだこの風通しの良い労働環境は……!と感動しながらバリスタとして働く日々。知り合いが誰もいない大阪だったが、人に恵まれたことで毎日が楽しかった。

特に楽しかったのが、地域とのつながりを育むために店舗が主体的に手がけるイベントの「キッズパーティー」。

イベントを盛り上げるために、コーヒーの知識はそこまで深くない、ドリンクをつくるのもそこまで早くない、先頭に立ってみんなを引っ張ることは苦手、でもお客様との会話は大好きです!という人たちが協力してくれた。

このイベントは保育士・幼稚園教諭の経験を活かしてゼロから立ち上げ、2年ほど毎月続けることができた。

自分の得意なことを活かして輝ける居場所が見つかれば、人はどんどん成長していく。そんな場をつくれたこと、そしてお客様にも喜んでもらえたことが嬉しかった。

 

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楽しく働くうちに、あんなに酷かった身体中の湿疹もすっかりキレイに。

私、自分をいじめてたんだな……とやっと気付き、反省する。

この頃、金スマでこんまりさんを知る。片付けを仕事にしていることに、え!ずるい!私もそれやりたい!と嫉妬する。が、経験がないし私はただの主婦。パソコンなんて使えないし、どうやって仕事にすればいいのかがわからない。自信もないし、自分には無理だな……とすぐに断念する。

仕事に生きがいを見出していた人間が扶養内におさえるという働き方に満足できるはずもなく。「主婦らしく」「奥さんらしく」求められる姿に応えようと自分を押さえ込む日々が、段々とストレスになり苦しさが蓄積されていった。

やばい、これはいつもの勝手に我慢して破滅するパターンだ。

そう思ったのも束の間、色々あって夫婦の関係性が悪化、32歳で離婚。

人生どん底期に突入する。

 

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生き方働き方を模索した30代前半

 

離婚を反対していた実家に帰る勇気はなく、この先どうやって生きていこう……と途方に暮れお酒に逃げながら過ごす日々。

離婚のダメージでズタズタだったプライベートを支えてくれたのは、可愛い飼い犬。そして、スターバックスという大きな存在だった。とはいえ、バツイチの私がいつまでこの仕事を続けるのか?という不安が尽きず、とにかく不安でいっぱい。

あんなに頑張って取得したんだから、小学校の臨時教諭やってみようかな?

もう一度、幼児教育現場に戻る?安定するし。でもまたあの世界に戻るって憂鬱……。

色々と働く先を考えたが、どれも何かが違う気がして、ひたすら悩む日々だった。

そんな中、パソコン1台で仕事をするお客様たちの姿を見て、フリーランスという働き方に憧れを抱き始める。私にも何かできないかな?と、アフィリエイトブログを書いたてみたり、アクセサリーをつくって売ってみたり……とにかく動きまくって、どうにか稼げないかと試行錯誤していた。

 

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人生を変えた「コーチング」との出会い

 

この頃、スターバックスの時間帯責任者にステップアップすることに。

この時間帯責任者になる研修の中で、コーチングと運命の出会いを果たした。

「これだ、私がやりたかったのは!」

違和感だらけだったティーチングだけの教育現場、スターバックスで働く人たちがなぜこんなにキラキライキイキしているのか、言われたことを言われたようにできない私がなぜここまで楽しく働けるのか。

いろんな疑問に対する答えが見つかった瞬間だった。

そうか、私は自分で選んで自分で決めたいんだ。自分の意思で行動できる環境が心地よくて、自分だけでなくまわりにもそう在って欲しいんだ。

自分を理解したことで、心の中のモヤモヤがすーっと晴れていった。

 

仕事が本当に楽しい!でも……。

 

時間帯責任者になって、スターバックスでの仕事はますます楽しくなった。

コーヒーの魅力を伝える人、みんなを引っ張っていく人、お客様とのコネクトに注力する人、まわりのサポートに徹する人。一緒に働く一人ひとりの強みや個性を活かせるよう成長する機会を設け、店舗全体の底上げを図る日々。

人材育成と職場の整理整頓(在庫管理)には、特に力を入れていた。

このお店で働く限られた時間の中で、求められることを体現できる力を身につけ、その上でやりたいことを存分にやっていって欲しい。そんな思いで人材育成に励んだ。

仕事に対する想いを聞き、何かあったら私が責任を取るからやってみなよ、と成長のために必要な挑戦ができるように手を尽くすのが本当に楽しくて。……とはいえ、これはそんな私を支えてくれた店長や同じ時間帯責任者の仲間あってこそ。いい人たちと共にお店を守っていけたことが幸せだった。

そして整理整頓。

ハイスピードで新メニューが出るため、バックルームは常に資材や原材料でいっぱい。忙しいと片付けどころじゃない。片付いていないために起こる発注ミスによってさらに物が溢れ、探し物に時間がかかり、本来はお客様のために使うべき時間と労力が奪われる。溢れる物でなんだか疲れる……。

この悪循環から抜け出すために、いらないモノはとにかく捨てて資材や原材料の配置を見直し、ミスが起こらないよう動線や発注方法を見直した。

ムダな事やモノに時間や労力をかける必要がなくなり、在庫数も適正に。未来の売り上げをつくるためにエネルギーを注げるようになり、労働環境も改善した。

そういえばこの頃はマネジメント陣に「鬼の断捨離」と呼ばれていたな。(遠い目)

苦手なことは得意な人に任せて、自分は自分を活かせることをやる、という働きやすさが本当に心地よかった。

毎日何かが起こるし、ハイスピードで新商品の発売日がやってくるためとにかく忙しい。でもみんなと一緒に乗り越えていく感じが楽しい。

だけど、本当にこのままでいいのかな?という疑問は結局拭えなかった。

 

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この頃、どうにか人生うまくいかせられないものかとスピリチュアルや心理にハマっていった。

いろんな人のブログを読み漁る中で、初めてうまくいかない自分の人生を疑い、初めて人よりも自己肯定感が低いことを自覚した。

私は自己肯定感が低いのか……!だから頑張ってもうまくいかないのか。

「私が我慢すればなんとかなる」って、他の人は考えないんだ……!知らなかった。

そんな気付きがありなんとかやっていけそうな気もしていたが、色々おさえ込んでいた何かがピークに達し、もうこれ以上頑張れない!とにかく「今」が苦しい!こんな人生抜け出したい!という状態に陥ってしまった。

 

まさか、整理整頓が人生の転機になるだなんて。

 

自分がこの世からいなくなった時のことを考えるほど闇落ち寸前(むしろ片足突っ込んでるレベル)だったが、これが人生の転機になった。

 

私がいなくなったらこの部屋に人が入ってくるのか……。

待てよ、あの手紙を見られるのはまずい。あれが人目に晒されるのは困るから処分しておこう。

おっと、あの写真も見られたら困る。処分しよう。

 

私にとっての負の遺産を処分することが、結果私を救うことになった。

今まで向き合ってこなかった自分を知ること。自分のために行動することが自信になること。ガチガチに固まっていた肩の荷が「捨てる」ことでストンと降りること。

整理整頓を続けるうちに没頭し、いつの間にか「私は私のままでいいんだ」と思考は変化し、自分の存在を受け入れられるように。

我慢や自分をおさえ込むことも、だんだんと減っていった。

最初はとにかくいらないモノを捨てていき、どんどんモノが減っていく中でいろんなことに気付いた。

誰かの目を気にした取捨選択ばかりしてるかも。

「自分には何もない」という前提で生きてて、それを埋めるためにモノ選びをしているのかも。

なんか生きづらいな……と感じ、自分を生きている気がしなかった理由がやっと理解できた。

そして「自分には何もない」と思っていたけど全然そんなことはなくて、たくさんの「ある」を認め受け入れていないだけなんだという事実にも気付いた。

ちょっと恥ずかしかった。

たくさんのモノと記憶と自分と向き合いながら捨てることで、ガチガチに固まっていた肩の荷が不思議とストンと降りて、どんどんモノが減っていった。

 

足りない自分を埋めようとしなくていい。私は私のままでいい。

 

その頃から、モノは減っているのに不思議と満たされた気持ちになり、私は私のままでいいんだなぁ……と思えるように。

そこからは「で、こんな人生抜け出したいって思ってるけどどんな人生なら満足できるの?」と未来に目を向け、満足できる私なら持っていないだろうな……と思うモノを捨てていくやり方にシフトした。

これからのことを考えるのは苦痛で仕方なかったはずなのに、自然と未来に期待できるようになった。

整理整頓を本気でやれば、人生は変わる。

これ以上頑張れない、苦しい、抜け出したい、と始めた整理整頓はいつの間にか私の心を楽にして、「私には無理」「自分なんて」という余計なモノが取り除かれ、心の奥底に封じ込めていた起業という道まで見つけてくれた。

 

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これはみんなやったらいいのに……というかコーチングとあわせて仕事にできるな、やりたいな。

ということで、整理整頓やコーチングに関する内容でブログをスタートさせた。

 

起業を決意した大阪北部地震

 

起業を意識しつつも楽しい職場を離れる勇気がなく、相変わらずうだうだしていた35歳の時、大阪北部地震を経験。

余震が続く中、飼い犬を家にひとりにしてなんで私はスタバにいるんだろう?と自分の働き方に本気で疑問を持つように。

スタバは楽しい、できればこのまま働き続けたい、でもこのままじゃダメだ、と目が覚めてやっと起業を決意した。

ブログを書くのは楽しかったが、すぐに収益化できるはずもなく、ひたすら記事を書く日々。

「書くこと」は楽しかったので、これが仕事になればいいのにな……と思っていたところ、webライターという仕事に出会う。

書くだけでいいのか!しかもパソコン1台で働ける!と、すぐにのめり込み、ガツガツ案件を獲得するように。瞬く間に収入は増えていった。

5年前は働き方に不自由さを感じていた自分が、パソコン1台で働けるようになったことがとにかく嬉しかった。

 

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書けば書くほど上達するのが楽しくて、あっという間に1年ほど経過。

忙しくなりすぎた時やっと、あれ?私webライターがやりたかったんだっけ?と立ち止まる。

……本当にやりたいことは整理整頓じゃん!

進む道が盛大にズレていたことに、やっと気付いた。

 

コーチングの資格取得、そして独立へ。

 

放置気味だったブログに再び力を入れ始め、さらにコーチングの資格取得のために東京に通い始めた。

その頃、あんなに楽しかったのに自分の仕事が軌道に乗りだしたことでスタバへの出勤が苦しく感じるように。

もっと自分の仕事にエネルギーを注ぎたい。

とはいえまだスタバも頑張れる!と誤魔化し続けたが、これはいつもの勝手に我慢して破滅するあのパターンだ……と内心気づいていた。

今までの私なら、このまま自分の気持ちは見て見ぬフリをして涼しい顔をして毎日を過ごしていただろう。

しかし今の私はあの頃の私とはもう違うんだ。

いつ決断しようかと思っていた時、フリーランスの人たちの集まりに参加した。とても刺激があって、楽しかった。その翌日スタバに出勤した時「私の居場所はここではない、もう無理だ」と悟り退職を決意した。

前に進むんだ!と腹を括って退職の意を伝えた直後になんとコロナが。

……なんてこった!

やっぱり辞めるのをやめます、とは言えず、コロナ真っ只中に独立した。

 

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整理整頓で人生が変わるのは、私だけじゃないという確信。

 

独立後、最初に整理整頓のサポートさせていただいたSさんは「片付けられるようになって自信を持ちたかった」と申し込んでくださった。

整理整頓を通して、3ヶ月間自分自身にじっくり向き合ってこられたSさん。

元々職場では、「自分さえ我慢したらいい」「自分が頑張ればいい」という自己犠牲の意識がかなり強めだったものの、モノを捨てることで決断力が磨かれ自信がつき、たくさんの心境の変化があったようで。

「自分が我慢するのではなく、自分の想いは自分の想いとして大切にすればいい。その上で、人に頼る大切さやまわりの人との距離感などを改めて考え直したことで、心の持ち方が大きく変わった!」

「家がきれいになってプライベートをもっと大切にしたい!という思いが芽生えて、私がやればいいから……と日常になっていた残業も「どうやったらなくすことができるか?」という考え方にシフトした!」

と、笑顔で話してくださるようになった。

「変わる!」と決めて変化に立ち向かうのは、クライアント様ご自身がやること。私はクライアント様が欲しい未来を確実に手に入れられるようサポートに徹することしかできない。

途中で嫌になることもたくさんあったろうに、それでも途中で投げ出すことなく乗り越えるからこそ、いつの間にか人生は変わる。Sさんの変化を目の当たりにできたのも、そのきっかけを提供できたのも嬉しかった。

ちなみにこのSさん、人生を詰まらせていたモノが取れたのかサポート後に結婚、出産、新居購入とハイペースで背景が変わっていった。いやーすごかった。

 

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仕事は楽しい一方で、コロナの状況は次第に悪化、ものすごく不安な気持ちで毎日を過ごしていた。

整理整頓をしたくても、お客様の自宅に伺うことができない。オンラインでやるには限界がある。どうにかしようにも、そもそもビジネス経験が浅い。

必死でもがきながら、整理整頓以外にもライティングを教えたり、書類作成を請け負ったり、できることをとにかくやった。

 

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この頃受けたコーチングで「出版したい」という夢が出てきた。

夢がデカすぎて今の私には無理だな、でもいつかできたらいいな。コーチだし、叶えたい。

頭の片隅に出版が引っかかっていた時、整理整頓サポートを2年半させていただいたCさんの口から「この整理整頓はたくさんの人に伝えてほしい」という言葉が出てきた。

「できない、無理」が口癖だったCさん。

「できないんです......」と言いながらもコツコツ整理整頓を続けられ、いつの間にか「できない、無理」といった言葉は出なくなり、最終的には「私、できるかも!」「凄い!えらい!」という言葉が出るようになったCさん。

整理整頓をする中でたくさんの葛藤と向き合い捨てるという決断を下し、自分で決めたことができた!という成功体験を重ね、その過程で自信がついていく。

自分の足で立とうともがく姿は、本当に美しく素晴らしかった。

 

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そんなCさんから「たくさんの人に伝えてほしい」という言葉が出てきたということは「やれ」ということか!とポジティブ解釈をし、出版を決意する。

 

整理整頓術をまとめた「じぶんデトックス」が書籍に。

 

出版のプロにサポートしてもらいながら1年かけて企画書を作成し、無事に出版社に採用された。

本を書くのは想像以上に辛かった。

文字数の多さはもちろん、闇落ちしかけていた当時を思い出すのがとにかくしんどい。

あの頃、前に進むために捨てたはずの過去の経験や苦い思い出。わざわざごみ収集所まで出向いて家に連れ戻し、もう一度じっくり向き合うという作業をひたすら繰り返さなければならなかった。

やっぱり捨てるって大事。

改めて実感した。

 

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2023年3月、黒歴史が詰まった書籍「じぶんデトックス –こじらせ女子の整理整頓術–」は全国へと羽ばたいていった。

我慢なんてしたところで、ろくなことはない。自分に失礼なだけ。

それよりも、自分を見失うことなくやりたいことをやって生きたいように生きた方が自分もみんなも幸せになれる。

「今までの自分」は過去の話。

今まではこうだったから、といつまでも過去の選択を尊重しなくてもいい。

もう違うな……と思うのなら手放して、まっさらな自分に戻って、またリスタートを切ればいい。

どんなにたくさんのモノを手放したとしても、本当に大切なモノは自分のそばにずっと在るから。

 

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クライアント様ともよく話すが、誰かにサポートしてもらいながら整理整頓なんてしなくても生きていけるし、コーチングを受けなくても幸せになれる。

ただ、同じ毎日を選択し続けた先に欲しい未来がないと気付いているのなら、よりよい人生につながるツールがあるのだから掴んだらいいし自分のために使ったらいいと思う。

最初はうまくいかなかったとしても、諦めずに続けていれば転機は必ずやってくる。

そうはいっても乗り越えられない壁があって、ひとりで前に進んでいくのも怖いなら、自分の足でしっかりと進めるようになるまですぐそばで伴走する。

自分という素晴らしい存在を今まで以上に大切にできる人、自分が選んだ道を自信と誇りを持って歩んでいける人を増やせるよう、これからも私は私の道を突き進みたい。